しーおん&しおちゃんの雑談記

しおちゃん&しーおんのことを書く

自分語り?(前編)

こんちわ。しおちゃんです。

 

なんとなくでやりたくなったから書く。それだけ。
その1:前編


■大学
入学前:
高校のころ特に考えてもいなかった、
進路と言うものに悩んだ。
ただ、親は「大学行け、大学出ろ!」って言ってた。
大学を出れば何か良い事が得られると思ったのであろう…

んで、学力テストとかいうのを受けてる中で、
自分の学力で”応募したら確実に合格できそうな大学”を見つけたので、
その大学の推薦を取って、入試を受けた。
無事合格だった。
その後、何かモンヤリしたので、
担任の先生に話しを聞いてみたら…
「もう就職活動やってない。」って聞いた。
もう進学しかない。。。ということだった。。。

大学生の間:
授業の選択に色々考えたり悩んだりしたが、
とりあえず難なく進んで行った感じ。
ラーメン店でのバイトとバイクで走ることに夢中になっていた。
輪講習会とかにも積極的に参加してた。

肝心の勉強の方は無難にこなしつつ過ごす。
そして、勉強のために取得しておくと良いと
教授から言われていた簿記資格を勉強して取得。
とはいえ、大学としての勉強になっていたのか?
また、ゼミとして勉強するとはいえ専門性が付いたのか?
そこいら辺がとても怪しいのだが。。。

卒業前:
3年時に就活が動き出し、就活か…
私もやるか…とセミナーなどに通った。
けれど…そんな最中に、
「内定は採ったけど、卒業できないのでは困る」
…という話を聞き。
「そうだよな。」…と思い。卒業することを優先にした。
その当時、やりたい仕事はわからなかった。
せめてあったのは、簿記資格取ってるし、
そういう仕事ができるといいな。と言う位であった。

んでまー、職業は決まっていなかったけど無事卒業した。

卒業後、ハロワなどに行き、職探しをするなどするも、
世の中は「不況」であった。後に言う「就職氷河期」である。


■就職
その後の仕事探しは、地元(東京23区外の市部)で働きたい。
を軸に?仕事探しし、府中での仕事があるよ
という求人広告を頼りに、就職した。
そうして1社目の仕事に就くことが出来、近所の企業の中で、
派遣作業者と言う形で働いた。


■働き出して…1社目
働きだして、長く続くか…と思った矢先に、
派遣先の現場の契約が切られてしまい、失業者になりかけた。
・・・のだが・・・
会社側の救済措置?で、履歴書や職歴書?を提出して
会社内の所属先が変わることに。。。
そうして都内の八丁堀の派遣先での仕事となる。

当時は先端だったかもしれないポケベルなどの仕事であった。
そんな仕事先での作業で、
八丁堀→豊洲飯田橋→浜松町→品川→浜松町→品川・・・
と自宅からは遠い場所への勤務ばかりであった。
ポケベルから携帯電話、PHSの機器に触れることもあるにはあった。
そして、今で言う携帯電話のSIMも触れることもあった。
そうこうしていたら、10年経過していた。

その間に、公的なIT系の資格の勉強や受験をしてたけど…全然ダメでした。

そこで会社側に相談をし個人的な希望を出してみたのだけれど、
案件がないということだった。派遣会社なのに…。
どうにかこうにか見つけて頂けたようで、私の希望に近いような
通勤しやすい所での仕事に異動になったのだけれど…
現地現場の雰囲気に馴染めなかった。(&病み病みであった)
それで、もうどうしようもなくて…退職という事にもなった。


■働き出して…2社目
空白期間が長くなってはいけないとばかりに、、、
やはり地元で働ける仕事…と思って探したのだけど…
お門違いな会社に就職してしまった。
羽村にある企業だったけど、仕事先は、板橋の志村の辺り…
のちのち、仕事を羽村に異動させるための要員という事だったが…
なにせお門違いな作業…定型的な作業と言う点は良かったけれど
怒られてばかり。。。

ここで見かけたのはCDやDVDの箱詰めとかの倉庫業
とある会計ソフトの箱詰めとかあったなぁとは思い出すが…

作業員を仕切るようにするなども任せられたけど、
全くできず、怒られてばかり。。。
体調を崩した。異動を申し出て移動先での作業もしたけれど、
そちらでもうまくいかなくて、ダメで。。。。
ということで、病み病みな状態で辞めて行った。

 

今回はここまで
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